高敞名所

文殊寺

文殊寺の写真
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文殊寺

住所, 運営時間, お休み, 利用料金, 利用料金
住所 全羅北道 高敞郡 古水面 七星ギル 135
運営時間 -
お休み 年中無休
利用料金 無料

#文殊寺 #丹楓 #天然記念物 #赤ちゃん丹楓

紹介

文殊寺は高敞と全羅南道の長城との境界を成している文殊山(621m)の山腹に位置している。古水面所在地から古水陶窯址を経て上へ登るとゾサン貯水池(古水貯水池)があり、左を谷に沿って6kmほど進むと森が生い茂っている山の西方面に文殊寺がある。

このお寺は水が澄んでいて森が茂り、人気が少なくて汚染されていないところである。地方有形文化財・第51号の文殊寺大雄殿、第52号の文殊寺文殊殿、第154号の文殊寺浮屠、第207号の木造三歳仏像、第208号の文殊寺木造地藏菩薩坐像があり、その他は冥府殿、閑山戰などが残されている。

大雄殿は小規模の建物で、切妻屋根が独特である。生い茂った緑の間へ渓谷の水と秋の丹楓が、天然の古寺と合わさって、見る人に感動を与える。

天然記念物で指定された丹楓数百が群落を成していて絶景を見せている。

清涼山の山腹にある文殊寺は百済の義慈王4年(644)の時に、慈藏律師が作った寺院である。伝わる話によると、唐の清涼山で熱心に祈祷を挙げていた慈藏律師は、夢の中で文殊菩薩に出会い、仏陀の教えを悟って帰ってきた。そして偶然この場所を通り過ぎる時、地の形勢が唐の清涼山と似ていたことで、お寺を建築し、文殊寺と名付けたという。その後、朝鮮孝宗4年(1653)と英祖40年(1764)、再建して、今に至っている。仏陀を祀る大雄殿は、高宗13年(1876)に高敞縣監のキム・ソンロの施主を受けて黙庵大師が再建築したと言われている。前面の3間、横面の3間である小さな建物ながらも、屋根の庇を支えながらも装飾のために作った栱包が柱と上や間にも配置された、多包様式の建物である。