高敞名所

高敞邑城

高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
高敞邑城の写真
  • 01 - 10

高敞邑城(コチャンウプソン)

住所, 運営時間, お休み, 利用料金, 駐車場
住所 全羅北道 高敞郡 高敞邑 邑內里 山9
運営時間 05:00 ~ 22:00
お休み 年中無休
利用料金 大人 3,000ウォン/未成年、軍人 2,000ウォン
駐車場 高敞邑 邑內里182-6 (バス及び約100代駐車可能)

#高敞邑城 #牟陽城 #踏城遊び #無病長寿 #極楽往生 #孟宗竹 #丈 #恋慕撮影地 #韓服レンタル #体験 #牟陽城祭

紹介

高敞邑城コチャンウプソンの築城年代に関しては様々な説があるが、高敞邑城コチャンウプソンの管下の建物の補修の時に現れたサンリャン門と各種の文献及び城跡に刻まれている文字から見るに、このお城は朝鮮、世宗32年(1450)から端宗元年(1453)まで全羅左右道の19つの郡・県で区間別に分担し合って築城した痕跡が、城壁の区間ごとに刻字されていて、その中にはムジャンシミョン(茂長始面)・ムジャんジョン(茂長綜)という痕跡があり、東門防御城壁には、癸酉所築監董宋芝玟という文字が残っていて、これを解釈してみると高敞邑城コチャンウプソンが癸酉年に築城され、ムジャンヒョン(茂長縣)が築城に参加したという証拠として見ることができる。

高敞邑城コチャンウプソンに関する記録は、新増東國與地勝覧の高敞縣城郭條に初めて言及されていて、新増東國與地勝覧は、中宗25年(1530)に刊行したが、ただ増補処に新増という二文字だけ表示されたので、成宗時代に王命によりキムジョンジクなどが東國與地勝覧の第2次の修正を経て脱稿した成宗17年(1484)以前の癸酉年へと築城年代を推定できるとも言える。ムジャンヒョン(茂長縣)は、太宗17年(1417)にムソンヒョン(茂松縣)とジャンサヒョン(長沙縣)を統合してムジャンヒョン(茂長縣)になったので、癸酉所築の癸酉年は、1417年以降の癸酉年になるので、高敞邑城コチャンウプソンは1453年の癸酉年に築城されたのが確実だと見られる。

高敞邑城コチャンウプソンは、石を頭に乗せて城を踏むと病に苦しむことなく長生きできて、死後には極楽門へ到達するという伝説のお陰で、毎年踏城の行事が続いている。城踏みは、あの世の扉が開くという閏月に踏んでこそ効果があると言われ、同じ閏月でも3月の閏月が一番演技が良いという。その中でも6日目の日があの世の扉が開くと言って初6日目、16日、26日に踏城の行列が絶頂を達している。城を一周すると足の病が治り、2周すると無病長寿し、3周すると極楽昇天するという。城を周る時は、必ず手のひらサイズの石を頭に乗せて3周しなければならず、ある地域にその石を積むようにした。特に閏3月の効果を強調するのは、冬の間水が凍って膨れ上がった城を踏むことで、乾固にするためだと推測される。また頭に石を乗せるのは、体重を増やして城をもっと頑丈なものにしようとする意図だったと思われる。

※2023年世界遺産都市、高敞訪問の年(2023年1月1日~2023年12月31日)の間、観覧料を高敞サラン商品券で全額支給します。
資源除外の例:団体観覧料金、全北ツア・パス利用客